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2015.03.03 Tuesday

千葉県鋸南町 岩井袋港の砕石積出岸壁

 房総半島にはクジラ漁の歴史があり、今でも外房の和田町では夏にツチクジラ(ツチンボ)漁が行われています。かつては内房の安房勝山を基地として大規模なツチクジラ漁が行われていたことが知られており、供養のための鯨塚や、見張りに使われた大黒山にその名残を見て取ることができます。勝山の捕鯨は明治には廃れてしまいますが、和田町で鯨が取れると、その肉を売る行商が平成になっても来ていたようです。

勝山の南側に岩井袋という港があり、勝山の鯨漁に参加していた岩井袋組の基地にもなっていた集落です。

深く入り込んだ港はかつての漁港の面影を集落寄りに留めつつ、海寄りの部分は砕石を積み込むための岸壁になっていました。

江戸時代の岩井袋は捕鯨基地だけではなく、房州石の積出港としても早くから利用された場所でした。明治に入ってクジラ漁は衰退しますが、横浜や横須賀の急速な発展に伴って大きな盛り上がりを見せた石材需要によって、漁船の多くは石材運搬船に切り替わったようです。日本最初の鉄道駅である新橋駅も房州石で組まれていたといいます。


明治半ばにピークを迎えた房州石の採掘もセメントの普及や建築基準法の施行などで徐々に下火となり、昭和60年には房州石の採掘は終了しますが、戦後から需要が増加した砕石の採取は続き、現在に至ります。

積出用岸壁の多くが現在は使われていないように見えました。港全体での積出の頻度もそれ程多くないのかもしれません。

ガソリンタンクの向こうには南房総の海岸線が見えました。夏に来るとまた雰囲気が違いそうです。

陸路より海路が発達していたであろう岩井袋にも、今では東側から太い道が通っています。この道を通って帰りましたが、ダンプカーの気配はありませんでした。

鯨の供養のため、鯨解体班である出刃組が奉納していたという鯨塚群の場所はここです。

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岩井袋港

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2017.10.24 Tuesday

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